アトリエ1 図工・美術タイムトラベル(小学校編)
 
1,
 図工美術教師






 私はいわゆる図工・美術教師ではない。(と、いつも自分では思っている)だから、最近、時々「KAN先生は図工(美術)の先生だから・・・」と声をかけられることに実は抵抗がある。恥ずかしさも覚える。つい言ってしまう。ぼくは小学校の先生ですよ・・・つまらない言い訳。専門に学んだことがあるわけではないし、特に図工指導に長けているわけではない。今の私は、図工美術に興味・関心があり、学んでいる美術学生のような気分なのだ。
 子どもの頃から、図工・美術は好きだった。かといって得意だったわけではない。一生懸命に描いてもなかなか上手く描けない、作れない・・・小学校低学年のころからずっとそういう思いを持って学生時代を過ごしてきたような気がする。なんでそう言う気持ちを持っていたのかな?だけど、なんで、高校での教科選択を美術にしたのかな?今、図工を愛している(とは大げさか)のかな?反対に確かなのは、すばらしい美術の先生に出会ったとか、何かコンクールに入ったとかは、全くない、ということ。でもどこかで何かあったっけ??・・・・。いろんなことを考えているうち、ふと自分が子どもの頃の図工・美術の時間のことがいくつか蘇ってきた。いまだに疑問は解けないのだけど、ちょっとタイムトラベルしてみようかー。


2,
お母さんの絵











 多分小学校の1年生の時だったと思う。くれよんで「お母さんの絵」を学級全員が書いた。私は洋服を黄色やら青や緑やら明るい色をいっぱい使ってカラフルに書いた気がする。顔はいわゆる日本のくれよんに「はだいろ」と書いてあるあの色一色で。多分できあがりに満足した。みんなの絵は、町の百貨店にかざられて、ぼくも家族で見に行った。母親から「よくかけたね、ありがとう。」と声をかけてもらってうれしかった。
そしてある日、先生が「中田君の絵が市で特選になりましたよ。」と言った。中田君はきょとんとしていた。そして「校長室に今飾ってあります。」と先生が付け加えた。特選というのが何かワケも分からず、みんなで、「すげえ、すげえ」と言いながら校長室へわんさか駆けていった。でもそこで見たのは、茶色っぽい色が濁ったような肌の色で、エプロンもぐにゅっとまがって、しわもあって、お母さんと言うよりおばあちゃんという感じがした。子ども心に「こんな絵がいいんかなあ?」と感じたのを覚えている。その絵はしばらく廊下に飾られていて、毎朝教室に行くたびに、ぼくは、「分かんないなあ。」と思った。でも、友だちの絵がそこにあったことで、ぼくは知らない間に鑑賞していたのだろう。はたして先生がその絵を説明してくれたかどうかは覚えていないが。
それと、中田君とは仲のいい友だちだったので、彼の母親のことはぼくもよく知っていた。田舎のおばさん、という感じだったが、いろいろよくしてくださった。今思うとあの絵は中田君のお母さんの感じがよく出ていたなあ、と思う。きっと彼は1年生ながら、母親の表面だけでなく内面を描いていたのだろうな。まあこれは想像にしか過ぎないけど。
私が1年生の勉強で覚えているのは、この絵のことと、学芸会で「オオカミと7ひきのこやぎ」をしたことだけだ。



3,
校内スケッチ大会
小学校高学年を過ごした学校では、毎年校内でスケッチ大会というのが行われていた。審査会が行われ、入賞作品が展示されるというものだった。体育館にみんなの絵が並べられ、先生方が審査していた。5年生の時だっただろう。私はそれを友だちと一緒に入り口から見ていた。絵を2枚並べて、先生方が何やら意見の交換をしていた。審査会が終わったあと、私と友だちは自分たちの学年のところに走っていった。先ほどの2枚の絵を見ると、似たような音楽会の絵だった。どちらもステージの上で、みんなで合奏している絵でよくできていた。それはクラスの中で仲のよい女の子二人が描いた絵だった。「へえ、仲がいいと、同じような絵になるんだなあ」と子ども心に思った。しかし、片方の絵だけに入選の札がのっていた。友だちが先生に訊ねた。「先生、なんで、こっちが入ったの?」すると、「んー、どっちもいいんだけど、○○さんの方は、床の板が1枚1枚描かれているでしょう。よく見て描いている。」と答えられた。たしかにそうだった。でも・・・・私は何となくこっちの方が楽しい音楽会の感じがするなあ・・・とちらっと思った。しかし別に自分の絵ではないし、あまり気にとめなかったはずだが、なぜか今、そのシーンが蘇る。その時の自分の絵は・・何だったのか思い出せないでいる。


4,
タワー


5年生かな?6年生だったかも。先生から木材(細木)や竹ひごを配られた。自分で持ってきたのは、はさみやペンチ、ボンド(セメダインだったか?)などだった。机を後ろに引いて、床いっぱい使って、みんなそれぞれ好きなものを作り始めた。私はみんなの中で一般的に多かったタワー(東京タワーをたしか意識していた)を組み立てていった。接着が難しく、何度も何度もやり直した。しかし、形が次第にできあがっていくのが楽しかった。だが、夕方になってもそれはできあがらず(多分それは多くの同級生がそうだったろう)先生が「今日はそこまで。机はそのままで帰る用意をしていい。明日は朝からまた今日の続きの工作をするから。」と言われ、「やったー!」と叫んだのを覚えている。教室中が作りかけのタワーやら家やら乗り物やらでいっぱいで、しかも細木や竹ひごの切れ端が散らかっていてた。だが、さわると、すぐに崩れるので、ランドセルを背負って、そうっとまたぎながら出口に向かった。何となくゴジラかウルトラマンのような気分であった。


5,
入賞
ふと思い出した。1回だけある!入賞。
そうだ、6年生の時、校内のスケッチ大会で入ったよ。
えーと、たしか工事現場で、ショベルカーか何か描いた。
友だちの忠くんと同じ場所描いて、両方入賞したんだっけ?
でも、なんで忘れてた?う〜ん、なんで????
それともやはり記憶違いかァ???
ちょっといろんな記憶に自信がなくなってきた。