1 発足時 |
13年前の平成2年度末、S氏が図工サークルを作るという話を聞いた。S氏とはその年初めて参加した「版画の会」で出会い、その豪快さとユニークさに惹かれたものだった。そしてある日S氏から、「来週の土曜の午後、サークルを立ち上げるからこんかい?」とKANにもお呼びがかかった。行ってみると、たしかKANは会計とか何とかに名前が書いてあった。一応メンバーの一員となった。3年度からサークルが始動したが、当時のKANはJ小で部活に忙しく、参加できることがほとんどなかった。何度かS氏やA氏から、活動へのお誘いがあったが、2度ほど参加しただけで、いつのまにか足が遠のき、当然ながらメンバーではなくなっていった。だから、当時のメンバーも今のメンバーも、KANが以前サークルに所属したことはほとんど知らない。
*S氏は現在30人31脚で闘将として全国的に有名になっています〜 |
2 再入会 |
平成9年Y小に異動。10年の夏休み、ある合宿研修会の折り、Ma氏と同グループになった。教科は何でもよかったが、自分の実践の発表をしなくてはならなかった。KANは何をしたか覚えていないが、Ma氏が図工の実践を述べられたのは覚えている。その時、版画の会や図工サークルの話題が出て、懐かしくなった。今度の学校では、部活動もほどほどで、ある程度時間もあったので、Ma氏にお願いして、サークルに入会したいと伝えた。7年ぶりにサークル復帰であった。 |
3 出会い |
当時はR小で活動が行われていた。9月のある日訪ねていくと、数名で活動しておられた。S氏はすでにサークル活動からは実質離れておられ、A氏が事実上の代表的存在となっていた。しかし他には知っている人はほとんどいなかった。ただ、スポーツ大会で顔を合わせたことのあるI氏やMu氏がいた。そして、この日やっておられた活動が、切り絵であった。切り紙版画につながる活動である。そして、この日の出会いが、これからのKANのTとしての道を大きく変えることになったのだ。人生とは分からないものだ。 |
4 KANと図工 |
KANはもともと図工が得意ではない。どちらかといえば不器用である。小さいときから、マンガを描いたり、ものを作るのは好きだった。だが、うまくできなかった。仕上がりに満足をすることができなかった。通知表の成績も他の教科に比べれば、さほど目立つわけでもなかった。自分は図工下手だ、と思いこんだ。でも技術や美術の時間は好きだったし、面白かった。 |
5 作品づくり
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このサークルでは自分たちで図工で扱う実技をやるというところが特色。つまり子どもたちへの指導法の研究と言うより、自分たちが子どものように作品づくりに没頭し親しむ。
不器用な自分にとってはこれがよかった。やってみると分かる。ここが難しい。どう工夫すればいい?そして作品ができあがるとうれしい。ただ時間が短いので未完成のまま終わることも・・・。家に帰ってから・・・と思っても、すぐにやらないとなかなか完成しないなという教訓も得る。できるときにやることだ。少しずつ、自分で創った宝物が増えている。 |
6 実践研究 |
年度末には全員が自分の授業実践を印刷したものを持ち寄って冊子にする。これを1冊手にするだけでも、実は立派な研究である。また、年に一度は、会員の授業研究をやっていた(土曜)。今、土曜がなくなったが、幸い市では輝きプランと称して平日の授業研ができる。毎年サークルの仲間が授業をしている。さらに、昨年度と一昨年度は、全国版画大会や県大会があり、メンバーのほとんどが提案者や授業者になった。サークルの活動も、互いのレポート検討をしたりする密度の濃い研究時間となった。その分実技があまりできなかったのが残念。 |
7 サークル仲間 |
大人になってもそう器用にはならない。KANは相変わらず不器用である。サークルの仲間は半分は美術を専門に学んできている。そんな人たちはたしかに上手い。センスがいい。器用である。うらやましい。でも、中にはKANと同じように、専門でなくても図工が好きで、学びたいと思って入った者もいる。こんな人たちもいるからKANはやっていける。ただどちらも共通してるのは、図工を通して子どもたちの心を育てたいと思っていたこと。得意・不得意、器用・不器用の差はあっても、気持ちが同じだから一緒に活動していて面白い。役に立つ。むしろ苦手な人間がいると子どもの気持ちに迫れる。そして愉快な人間が多くいる。グチを言い合ったり、飲んだりしながらワイワイやれるとこがまたいい。いつのまにか離れられなくなった。 |