SPOTS         (2004年5月執筆開始)
ここ3年、めっきりスポーツをしなくなった。理由は大きく次の3つかな?
 
   仕事が忙しくなった。 
   足を痛めた。
   パソコンにのめり込み始めた。

体を動かすのは大好きだった。特に20代、山の中の職場に異動したときが、自分のスポーツ歴が大きく変わった。しかし、現在ほとんどやらなくなって今ひとつ調子がよくない。
そんなに得意というわけではないが、体を動かすのは大好きだったので、そのリズムを取り戻して、体調も整えたいが、気持ちはあっても今ひとつからだが動かないのだなあ。なぜだろう?
そこで、過去に自分がやったもの(遊びやレクレーション的にやったものが中心だけど)をここにふり返ったりそのスポーツに関することをここに載せ、気持ちを高めて何とかスポーツを再開したいと考える今日この頃である。近いうちリハビリ的に初めて、少しずつでいいから定期的に何かスポーツをしよう。そして、健康づくりやストレス解消にも役立てて現在進行形のページを作成できればとひそかに考えている。

マラソン バドミントン 水泳 ソフトボール ボーリング サッカー ゴルフ けんどう
マイ マラソン

過去の大会出場歴





  先頭へもどる
20歳代の頃は、山の中で、こどもたちと一緒に時々走る程度だった。30歳代になり、冬場に体力作りのため、たまに走っていた。自分で続けて走り始めたのは8年ほど前。当時は煙草を吸っていたので、500mも走れば、ぜいぜい言って苦しかった。それが2km、3kmと距離を伸ばすうちに楽になり、ついに煙草も止めた。しだいに距離を伸ばし短いマラソン大会に出場。たくさんの人が走ることを楽しむ雰囲気がいいなあ、と感じた。それからは走ることが面白くなった。毎日のようにランニングをし、「ランナー」という本を読んで大会を見つけ、10km程度の距離ではあったがいくつか出場した。時には家族で出ることもあった。
しかし、4年前初のフルマラソン出場後、職場のサッカー大会で足を痛めた。その後はマラソンから遠ざかってしまった。 上へ
 

マイ バドミントン




先頭へもどる
初めてバドミントンラケットを手にしたのは20年前。レクレーションなのに全くシャトルに当たらない。何ともつまらないと思った。その後山の中に異動。県のトップレベルの小学生と出会う。その指導者の方から基本を教えていただいた。だんだん面白さが分かってきた。と言っても専門的にやったわけでなく、仕事が終わってから同僚と楽しむ程度。それでもやはり小学生の強い子たちにはかなわなかった。やがて、群市の同業者でバドミントン愛好会が結成されたのを機に入会、週1回のバドミントンが無性に面白くなった。ところが1年後、仕事の都合で異動。ぷっつり縁がなくなった。
それから約10年たち、5年ほど前から部活動でバドミントンを担当することになる。素人ながらこどもたちを指導。同僚ともまたたまにやるようになった。しかし現在は再び職場を異動、バドをする機会に恵まれていない。
マイ 水泳






先頭へ
小学生6年生の時、学校に初めてプールができた(それまでは海でしか泳いだことがない)。水が重い!そう感じた。距離を測ったら20mだった。苦しかった。中学校の授業ではいきなり100m泳がされ、死ぬかと思った。水泳は苦しいスポーツだと思った。仕事に就いてからも、職業上プールに入ったが、苦手だな、という感じだった。
しかしこれも山の中に異動したとき子どもたちが楽しくスイスイしかも何百メートルも楽しく泳ぐ姿に驚く。一緒に混じって泳ぎ始めた。これまた専門の指導者がいたので、学びながら自分もこどもたちを指導するようになった。
市内に異動してからは、時々自分で総合体育館に泳ぎに行くようになった。500mぐらいを夏場は時々泳いだ。5年前からバドミントンと並行して水泳部を担当。夏場は指導に当たった。といっても山の中の子たちとは違って、泳ぐのが苦手な子たちが多かった。しかし、泳げるようになることを喜ぶこどもたちを見てうれしかった。今は自分が泳ぐことはほとんどないが、新たな職場でも水泳部担当になった。
マイ ソフトボール






先頭へ
小学校低学年の頃は田舎の田園地帯に住んでいた。夕方や休日には空き地で上級生から下級生まで混じってソフトボールをするのが日常の遊びだった。しかし、「巨人の星」の時間には家に帰ってテレビを見ていた。上級生になって転校したが、そこでは子供会によるソフトボールがあっていたし、学校の授業でもやった。
しかしその後は中高ではたまに遊びでやる程度。大人になり、職場で年に1回レクレーションがあり、その時期はみんなでソフトボールを楽しんだ。特に山の中に異動したとき、同僚に誘われナイターや早朝ソフトボールに参加した。しかしウインドミルなんかがとてもスピードがあり・パワー不足の自分としてはなかなか飛ばなかった。それでもチームのみんなで仲良くスポーツを楽しんでいた時代だった。今も2年に1回ぐらいはレクレーションに出るがいつも足を痛める。悲しい。
マイ サッカー





先頭へもどる
小学校の高学年ぐらいからだったろうか?サッカーが時々遊びの中に入ってきた。しかしメジャーではなかった。自分にとってもあまり身近なスポーツではなかった。
仕事についたら、毎年3月に職場レクレーションで県のサッカー大会があっていた。初任以来ほとんどその大会には参加している。とても楽しみである。これまで楽しくレクレーション的に1点をめざしたチームもあれば、数ヶ月前から本格的に練習してのぞんだチームの時もある。記憶に残る大会がいくつかある。初任の時、同僚におそろしく上手い方がいて、7人制であれよあれよというまに勝ち抜き3位だった(当時はトーナメント戦だった)。自分はほとんど走り回ってただけだった。山の職場では人数が少ないため合同チームで11人制の練習で鍛えられた。本番でついに左足小指骨折まで初体験した。今はいつも楽しく参加するが、必ずと言っていいほど足の肉離れを起こし、途中リタイアする・・・情けない。
マイ ボーリング





先頭へ
美しきチャレンジャー」というボーリングのドラマが流行ったのは小学校の頃だったかな?実際に自分でボーリングやったら全然うまくできなくて、へたくそじゃ〜と思ったものだった。
大学生になったとき、休日に仲間と一緒によくボーリング場に行くようになった。しょっちゅう行ってみんなでスコアを競争し始めた。中にはマイボール・マイ手袋を持って行くヤツまで現れた。オレはそこまでやらなかったけど。そして、200を超えたときはやった!と思ったものだ。最高スコアは202だった。
今は、3年に1回ぐらいしかしない。スコアも150も行けばいい方だろうが。
マイ ゴルフ




先頭へ
同僚に誘われて初めてゴルフに行ったのは、そう、14年前になるかな。トーナンレークだったと思う。スコア?う〜んそうだな、数え切れないほど打ったと思う。汗かきまくったし、走り回った。悔しくて、その後練習場によく通った。そして仲間とよく行ったものだ。少しずつスコアが上がり、ドライバーも飛ぶようになり、だんだん面白くなってきた。親睦のコンペなどにも出場したりして、100まで上がった。ところがところが、この100の壁がなかなか破れない。そのうち、ヒマがなくなり、金がなくなり、これまたとうとう遠ざかってしまった。7年前に久しぶりにクラブを握ったのを最後にゴルフとは無縁になってしまった。これは肉離れなど起こす心配がないからやってみたいけど・・金もかかるからナア。
マイ けんどう


先頭へ
厳密に言えばスポーツではない。武道である。学生時代にやっていた。これに関してはいろいろあるので、あらためて別ページでも作って語ろう。