成人ディスレクシアの独り言 本文へジャンプ
ある芸人さんを見て思うこと
オレが笑われているような不思議な気持ち


お笑い芸人Aは、よくその文字の読み書きのできなさが話題になる。
本人も積極的にその「わからなさ」を見せ、それで笑いを取っているときもある。

でも、それを見ているオレは笑えない。

みんなが笑う、彼の「奇妙な間違い」や「ありえないミス」こそが、オレの読み書きの姿と重なるからだ。

「こんな簡単なものもできないって、ありえない」
「そんな字あるわけないだろ」
と笑われ、
「常識だろって漢字も書けない。絶対ネタだって」
とまで言われる。

全部、オレに突き刺さる。
あの間違い方には、いちいち覚えがある。
あの思い出し方にも、共感する。
彼もきっと、読み書きが入らなかったのではないか、そう思ってしまう。


先日、妻とテレビを見ていたら、
「テストダブルス」というのをやっていた。
漢字の苦手な芸人が二人で組んで、簡単な漢字テストに挑戦するという企画だ。
明らかに、あからさまに、「こんなこともできないのか」と笑う企画。
いつもならすぐにチャンネルを変えるが、Aの姿から目が離せなくなった。

○1問目 書き取り 「しんかんせん」

Aが
「今日も乗りました!」と胸を張ると、みんなが笑う。
彼は「今日乗ってきたから、まだ覚えている」と言う。
周囲は「そういう問題かよ」という雰囲気だが、オレは「あー」と思った。
そうなんだ。
何度も何度も見ていて、何て書いてあるかわかる文字でも、
書こうと思うと浮かばない。
でも、見たばかりだと、残像のように何か残っていることがある。

Aは、まず「せんは、わかるんです」と「線」と書いた。
ダブルスの相手のBがちゃちゃを入れる中、
「しん」を探し始める。
最初、木へんを書いて、新の右側を左に書いた。
これも覚えがある。
右と左は混同しやすい。
「こんな感じ」と書いてみて、「あれっ違う」と思うことはよくある。
何度もいろいろ書いてみて、「新」にたどり着く。
「幹」はなかなか出てこない。
そんな中、「象って言う字、象ににてるでしょう?」とAが絵を描き始めた。
「だから、「かん」も新幹線の絵をかくとヒントがあると思うんですよ」と言う。
ああ、これも覚えがある。
「走る」は腕をふって走る人間がうかぶオレ。
そういう手がかりを探して文字をなんとか記憶しようとしてきた。
なんとか「幹」も組み合わせることができた。
「これだよー」と言う声、これもわかる。
出来上がれば正解だとわかるんだ。
でも、正解は1つ、不正解は無限にある。
だからなかなかそこにたどりつけない。


○2問目 書き取り「こんちゅう」

これも書いては間違いの繰り返し。
日の下に「虫」を2つ書いたときは、「わかる」と思った。
何かが下にある。似た形だったとはわかるんだ。
何度も書きながら「ヒ」がなんとか出てくる。
「昆虫」完成。


○3問目 読み仮名「潔い決断」

最初「けつい?」と言いながら、浮かばないので後回しにする。
最後に話し合い、Bが「きよいだ」と自信満々で書く。
A「オレ、これまで生きてきて、「きよいけつだん」って言葉聞いたことないですよ」
ああ、これもわかる。
「聞いたことがあるかないか」これは重要だ。
それに「聞いたことがない言葉、それは不自然だ」と感じるAの感覚もわかる。
何でもかんでもやみくもに出鱈目をいっているわけではないんだ。
聞いたことのある言葉、意味が近い言葉を必死で手繰り寄せているんだ。


○4問目 読み仮名「老舗の旅館」

いろいろ話し合っていく中で、「これって古いって意味じゃないか」ということになる。
「老」からの連想だ。
古い旅館・・・と考えをめぐらす。
そうだ、意味で予想して、頭の中を検索していく。
これもオレと同じだ。
普通の人には、想像もつかない労力がかかっている。
みんなは、文字を見たら音が浮かぶんだろう?
浮かばないオレは、「予想し」「探す」しかないんだ。

「しにせ」という言葉に行き当たる。
「それだ」と声が上がる。


○5問目 書き取り「らくちゃく」

「着」で苦労する2人。
とにかく横棒があることは浮かんだようで「三」を書いて左横に「ノ」をつける。
「こんな字ないよなあ」
これもわかる。
なんとなく、浮かぶんだ。
ただその要素がどこにくっついていくのかがわからない。
慣れているんだろう。
色々と場所を変えて書き始めた。
結局「落着」という形まではこぎつける。
しかし「着」の7画目を上の縦棒とつなげて書いてしまい×。
ああ、これもわかる。
どこまでがつながっていて、どこからが別の画かなんて、わからない。
形を思い出すだけで必死だ。


Aの姿に、いちいち自分が重なる。
それを「ありえない」と笑う声に、胸が詰まる。
彼は芸人として、そういう自分も含めてアピールしているのだろうが、
「ありえない」が、必死で生きる姿である自分には笑えない。

必死で文字を探す姿は、そんなに滑稽なのか。
そうしないと出てこない人間は、どうすればいいのか。
誰にぶつければいいのかわからない、口惜しさ。

妻が「書き順、ほとんどあってる。書きなれている感じだし、きっとすごく練習して、でも入らなかったんだろうね」とつぶやく。
ああ、そういわれてみれば、整った字だ。
オレのように書くことから力づくで逃げることもせず、
こうして笑われながらもがんばってきたのかなと思うと、つらい。

A本人は、どう思っているのかはわからない。
芸人の1つの特徴として「おいしい」ネタになっているのも確かだ。
それでも、彼にも学生生活はあったはずだ。
あれだけいろいろな工夫をしているということは、必死だったはずだ。
必死の姿を笑われ嘲られ、それがどんなにつらいことか、オレにはわかる。


彼を笑う番組を見て胸が痛いのは、
今、学校でこの状態の子達のことを思うからだ。

子どもは残酷だ。
テレビで人気者がしていることは「いいこと」と勘違いする。
Aを笑いものすることが電波に乗るというのは、
「こうして笑いものにしていいんだ」という誤解を生みはしないか。

「昨日見たAと、アイツにてるよな」
「お前、Aといっしょじゃん」
「おい、この字書いてみろよ」
「お前とお前でダブルスしろよ。テストつくってやる」

そんな無神経な声が、聞こえてくるようだ。