成人ディスレクシアの独り言 本文へジャンプ
「知られてはいけない」と確信した日々〜社会に出て
大人のいじめに涙した夜

母親に握らされた一万円札をもって、一人で行きつけの食堂で呑めないビールと超特大の大飯と味噌汁を注文した。その食堂は現場帰りのおっさんばかり、そこで風呂にも入らない臭いガキが、おお泣きしながらご飯をかっこんでいる。周囲からは薬でもやっているぐらいにしか見られていなかっただろう。なんとすさんだ生活をしてんねんオレと、ただただ情けなかった。

 結局、学校へも家にもそのまま帰る事は無かった。不良仲間の家を渡り歩くことをやめ、必死で仕事を探した。

ここで大きな壁にぶち当たる!!
当時の就職雑誌「とらばーゆ」を読みあさるも、中卒など雇用する会社は少ない。現場か飲食店に若干の求職があった。、選べる立場ではない事は承知の上だが、まず履歴書が書けない。道に落ちている雑誌や電話ボックスにあるタウンページ等から漢字を写し、何とか履歴書を完成させたが、きっと間違いだらけだっただろうと思う。

16歳以上、中卒、住み込み可、なんて求人はほとんどない。そこでした年齢を偽り、履歴書を書く。何とか大阪船場の飲食店に、板前見習いで就職した。まだ初心だった自分は履歴書に実家の住所をそのまま書いた。働いている内に、親に連絡され、年もばれ、経緯も知られたが、そこの社長は辞めるその日まで何も問わなかった。

その店では、まず、皿洗い、つけもののぬか作り、米とぎが新人の仕事。数々の雑用を朝の7時から夜の11まで、週一の休みで働いた、住まいは、その店の宴会用の座敷。閉店後、片付けが終わって従業員が全員帰ってから、戸締りをしてまた雑用をして、酔っ払い用の布団にくるまって眠った。16歳の自分には、とても辛かった。皆が帰った後で米を磨ぐ、辛くて泣きながら、米をといだ。あれほど悪業を重ねた不良が、周囲を威圧して肩で風切って威張っていたオレが、一人になると泣いていた。
同じ年頃の連中が、学校をさぼって遊んでいる姿をのれんの向こうに眺めながら、とにかく汗だくになって働いた。
早く大人になりたいとずっと思っていたはずなのに、現実は思っていた世界と全く違っていた。給料をもらっているのだ。誰も、もう子供扱いなどしない、これが社会人なのだと16歳で思い知ることになる。
 
この店に勤めて2週間前後、昼飯のサラリーマンで込み合う中に、社長がお客としてカウンターで一人飯を食っていた。社長は食事が終わると、「おい、にいちゃん、これなんぼ。お勘定してや」そうオレに言ってきた。厨房の中で皿洗いしているオレに聞いていてきた。皿洗いの手を止め、前掛けでてを拭きながら、カウンターに行き、めし・おかずを指をさし、先輩の真似して、分かった振りして「全部で○○円です」と答えた。店内には料金表もはってあったが、確認することもできない。社長は小銭で払って、「ごちそうさん。また明日」と手を上げて、店を出た。オレは「助かった適当に答えたけど当ってたんや」とほっとした。直後に後ろにいた店長から頭をはつかれた。でたらめな計算は、やっぱりでたらめだった。数百円多くもらっていたのだ。
オレって最低や。そう思って、その日の夜は、テレビではなく、お店のメニューを見て、必死で覚えた。料理の種類はそう多くない。その上皿の種類で値段は決まっている。
翌日も約束通り、社長はやってきて前日と同じように勘定をオレに求めた。自信満々で、「全部で○○円です。おおきに・まいど」言ってやった。今度は正解。社長はにやりと笑って「ごちそうさん」と言った。

この店には、1年半勤めたが、やめる時に社長から言われた。「あの時のお前の度胸が気に入った。お前はいい板前になる。考え直して続けてみい。俺はなぁー辞める人間を止めた事は無い。でもお前は欲しい」

本気で引き止めてくれた。!むちゃくちゃ嬉しかった。また、泣いてまった。俺って泣き虫やなあ。字が書けなくても、オレに価値があると言ってくれる人がいる。オレにおってくれと言ってくれる人がいる。本当にありがたかった。

でも、自分にはそこから逃げ出さないといけない理由があった。

板前と言っても文字は書く、仕入れや食材の在庫などなど、限りなく書く事はある。
勤めて一年も過ぎる頃には、器用で気転の利くオレは、社長やお客さんにかわいがられていることもあって、先輩たちに妬まれる事が増えていった。陰険な先輩が、「あいつ字、かかれへんでぇ、はんぱなく」と言いふらしていった。店の中でも、評判になり、いつしか「頼りになる、できるにいちゃん」というオレの評価は、「どうしようもないアホ」になっていった。書けないことをわかっていて、オレに発注をするように言った先輩もいた。困っている俺を「ああ、お前書かれへんやったなあ」と大声で嘲る。そんなことが何度も何度もあった。社会にでて、初めて「いじめ」にあった。プライドはずたずただ。学校時代、傷つけられることは限りなくあったが、小学校時代は人気者、中学・高校時代は恐ろしい不良だった自分は、正面切っていじめられることはなかった。でも社会ではそうはいかない。相手を殴るわけにもいかず、目をつけられたが最後、いたぶられ続ける。

もう、書く事の要らない仕事につきたかった。

社長、ごめんやでぇ。恩に報いる事が出来ずに。ごめんやでぇ。こんな辞め方することになって。「お前がほしい」と言ってくれる社長に、本当の理由は言えなかった。もしかしたら、「そんなこと、関係ない」と笑い飛ばしてくれたかもしれない。でも、もしかしたら「えっ、お前そんなこともできへんのか」と言われてしまうかもしれない。自分を評価してくれた大事な人。もしもそんなふうに言われてしまったら、自分が壊れてしまうと思った。
どんなにがんばっても「読み書きができない」という砂の台の上。社会に出ても、学校から勉強から解放されたはずなのに、生きていく上で話すこと聞くことと同じようにそれは、当たり前に求められてしまう。「できない」というのは「ありえない」前提なのだ。

学生時代、読み書きが出来ない自分を、卑劣だが、暴力と威圧で守ってきた。ワルで有る事は、とても楽で心地がいい。
しかし社会ではヤクザで無い限り、そんな事は許されない。結局「逃げる」しかない。

その後、四半世紀にわたり、オレは逃げ続けることになる。