成人ディスレクシアの独り言 本文へジャンプ
偽ることを覚えた日々〜小学校高学年
誰にてもできることができない自分を思い知る日々

4年生、この時学校は3校目だった。
親の都合で6年生までに5回転校しているが、当時は高度成長のころ、大人は忙しく転校生は珍しくはなかった。

転校するたびに、新しい友達や教師と出会う。
偏見のない最初の評価は、いつも「頭のいい子」だった。


4年生に転校した初日、皆の前で挨拶を終え、席に着いた。その日の1時間目は理科だったと思う。
直列と並列の説明の後、「では、tora君、前に出てきて」と当てられ、今説明したことを質問された。耳から聞く事はたいてい理解していた自分は、あがる事も無く、すらすらと答えた。「よく聞いていましたね」と先生に褒められ、クラスメートからは「tora君ってすごいなあ。秀才やなあ」と言われた。もちろん、この評価が長く続くことはなかった。ほどなく「アイツ全然漢字書けへんねんで」「ひらがなやカタカナもすらすら読めないし、アホやん」と言われることになる。慣れている。でも、つらかった。

当時は文字の読み書きが出来なくても、秀才のふりなんか簡単なんだぐらいにしか思わなかったが、後に理解した事がある。
「読み書きが劣っていても理解力は皆と変わらない」ということ。オレはわかっていたんだ。ふりをしていたわけじゃない。


4年生で忘れられないシーンの1つは、担任の先生の鬼の形相。
オレは暴れたわけでもない。何かを壊したわけでも、授業を妨害したわけでもない。
ただ、教科書にルビをふっていた。そのことでひどく叱られた。
音読が回ってくるのが恐怖なのは、低学年のころから変わらない。なんとか自分の当たるところだけでもごまかそうと、当たる順番を数え、そこだけ小声で練習した。それでも漢字は読めないから、友達に聞いてルビをふっていた。ルビをふるのだって、当時の自分には大変な作業だ。時間をかけて必死で書いた。それが見つかったのだ。
「こんなことしてるからいつまでたっても覚えられないんです!」そう罵りながら、鬼の形相で教科書に書いたルビを消す先生。みんな黙って見ている。憐れむような視線。オレも黙って見ていた。それしかできなかった。
ルビを消された教科書。音読が当たると必死で読むしかない。漢字の読み方がわからなくて止まってしまうと、周囲の子が小声で「○○だよ」とささやく。短い文章を読むときも、何度も何度も止まる自分。小声で教えてくれる友達。厚意なのかもしれない。でも「ありがとう」とはとても言えなかった。ただ顔が赤くなった。恥ずかしかった。
ルビを消されていなければ、せめて自分で読めたのにとぼんやり思ったが、教師の罵る声が頭の中でこだました。「こんなことしてるからいつまでたっても覚えられないんです!」ああまたオレはひどいへまをしたらしい。

今ならあの担任に言いたい。
「ルビを消して、オレは覚えられたのか?」答えは否だ。
ただ逃げ場も方法も取り上げられただけだった。


4年生は大阪万博の年でもあった。
寝屋川から万博会場まで、1つ年上の友達と、10キロ以上の道のりを自転車で毎日のように通った。もう時効だから白状するが、「万博会場の中にどうやって忍び込むか」に知恵を絞っていた。
万博は「新しい世界」「輝かしい未来」の象徴だった。見るもの聞くもの、全てが新鮮で面白かった。月の石に胸が躍った。本当にあのお月様に人間は行ったんだと感動した。
当時は見慣れなかった外国人の姿にもわくわくした。「ハロー」と声をかけるだけで、「英語が喋れた」とはしゃいでいた覚えがある。
どのパビリオンでも、コンパニオンのお姉さんが詳しく説明してくれる。「聞いて」「見て」理解することに、何の支障も感じなかった。

5年生、5校目の小学校、この学校を最後に中学を卒業まで転校せずに過ごせた。

5・6年生の担任、S先生。顔も名前も声も姿も思い出せるのは唯一この先生。
それまでの先生は、名前も思い出せない。バカにした表情や罵る声は忘れられないが・・・。

S先生は、それまでの先生とは、ちょっと違っていた。

「文字も読めないバカな子」「うそつきの怠け者」という、それまで日常的だった教師からの扱いを、S先生からは受けた記憶が無い。

それどころか、何気ない行動をよく、褒められていたような気がする。本をスラスラ読めない、字が書けないをいちいち問われる事など無かった。さりげなくオレが理解していることを発表する機会を作ってくれていた。読み書きは相変わらずだったが、勉強は、よく頭に入った。

忘れられない出来事がいくつもある。

1つは、ペンキの缶の様な物を開ける時、てこの原理を使って、誰よりも素早く簡単に明けたオレに「tora君、それは力学って言うんだよ」とS先生。

「力学って何?」「大学へ行くと勉強できるよ」とにっこりした先生の笑顔を今も覚えている。読み書きのできないオレに「中学入ったらどうするの?」「行ける高校がないよ」という大人はたくさんいたが、「大学」を語る大人に出会ったのは初めてだった。

オレは、理屈は分からなくても、経験から小さな力を範囲を広げながら繰り返す事で、ただ引っ張っただけではとても開かない固い蓋を動かすことができることを理解していた。

先生も理解しているオレを、疑う事無く信じてくれていたように思う。
もしそれまでの担任だったら、「誰に聞いた」「どんなずるをした」と疑われるか、オレが人よりできることなんて無視されるのが関の山だっただろう。

先生に信じてもらっていると感じる出来事は、他にもあった。、6年生のとき、テストの時間、「tora君おいで」と皆とは別の席に座らせ、テスト問題を先生が読み上げて口頭で答えるように言われたことがある。
聞かれたらわかる。自信がある。
国語のテストは上半分が文章だ。S先生が一度読んでくれた。次に問題文を読んでくれる。他の子のように上の文章から探すことはできない。でも、さっき聞いたことだ。全部わかる。すらすらと答えると、先生がそれをテスト用紙に書いてくれた。

結果は、95点。こんな事、人生で初めてだった。そして最後だった。最初で最後の95点。
先生は、「この子はわかってるはず」と思ってくれていた。読む書くを除いて、オレの力を見せてくれた。

学校のテストは残酷だ。
どんなに理解していても、読めなければスタートすら切れない。図を見て「あのことだ」とわかっても、今度は書けなければ始まらない。だからオレのテストは0点ばかりだった。自分は「0点」しかとれない人間なんだと思っていた。勉強は何もできないんだと思っていた。S先生は、「そうじゃないよ。あなたはちゃんと理解しているよ」と教えてくれた。

でも、そんな姿を見た友達は「先生ほとんど答えを言ってるやん」「ずるい」とさわいだ。答えなんて教えてもらっていない。問題を読んでもらっただけだ。ただ、自分の他に誰もそんなことを必要としている子はおらず、だれもそんなことをしてもらっていない。「ずるい」の声に顔が熱くなった。

それ以来、先生が声をかけてくれても、問題を読んでもらうことはしなかった。本当はものすごくうれしかった95点。でも、「ずるい」こと。みんなと同じように「読んで書く」のでなければダメなんだと思い知らされた。


それでも、S先生には感謝しかない。
信じてくれた。気づいてくれた。それだけでどれほど救われたかわからない。
95点は、「おれはバカじゃなかったんだ」という自信にもつながった。でも、それならなぜ「読めない」のか「書けない」のか。説きようの無い疑問も生まれた。
「バカで怠けものだから覚えられない」と思い込まされていたのに。そうではない姿を知ってしまった。「オレはわかるはずなのに」この違和感は、後に「ディスレクシア」という言葉を知るまで、自分を悩まし、追い詰めるキーワードにもなっていった。


どうしてもつらいシーンばかりが思い出されてしまう。
確かにS先生以外の教師は大嫌いだった。常に緊張感を強いられる学習の時間も、苦しくてたまらなかった。
でも、学校は嫌いじゃなかった。
運動はスバ抜けてできた。体育の時間や運動会は、ヒーローだった。
思うように体は動いたし、見たことは大概できた。正直、なぜ友達にそれができないのかわからなかったほど、容易にそれはできた。
「うけてなんぼ」の大阪。愛想もよくよくしゃべるお調子者は、人気があった。転校は多かったが、どこにいっても友達はすぐにできた。
「活躍の場があるからいいじゃない」「友達がいるなら大丈夫じゃない」
そんなもんじゃない。
みんなから「tora君すごい」と言われても、いつも不安がある。オレを「すごい」と言ってくれる子も、「読み書きできないオレ」のことは軽蔑しているんだろうなと。
リレーで大差を挽回してトップに躍り出た時、同じチームのみんなは大喜び、相手チームの選手は「でもアイツ読み書きもできへんアホやん」とぼそり。
目立てば目立つほど、活躍する場があればあるほど、誰にでもできるはずのことができないことが攻撃の対象になる。
走りで人気でオレに勝てないのを面白くないと感じているヤツもいたんだろう。
先生のいない読書タイム、わいわいとエジプト図鑑をかこんで「エジプト博士」と言われた子の話をみんなで楽しく聞いていたとき、「tora君、これ読んでみてよ」と突然言われたことがある。オレが読めないことを知っていてだ。穏やかな子だったし、優しい口調だったと思う。でもオレの耳には「お前これ読めるんか?読めへんやろ。アホやから」と聞こえた。二度とその子と話すことはなかったし、図鑑を囲む輪に入ることもなかった。そういわれる瞬間まで、その子の話をきくのは本当に面白かったし、図鑑にひろがる世界にはわくわくしていたのに。

いつ崩れるかわからない砂の台の上に立っているようだった。人より勝る部分があっても、自信のあることがあっても、それが乗っている砂の台はとっても小さくて、簡単に崩れてしまう。
「読み書きができない」ことを知られたら、指摘されたら、誰にも相手にされなくなる。誰からも軽蔑される。そんな確信が、どんどんふくらんでいった。
S先生に出会い、きっと小学校生活の中で唯一褒めてもらう機会もあったころなのに、自信をつけるどころか、疑心暗鬼ばかりが大きくなっていった。

知りたいことはたくさんあった。
理科の実験に心躍った。不思議なことが解決していのは心地よくさえあった。
「もっと知りたい」と思うこともたくさんあった。でも口にはできない。オレはアホやから。「読み書きも出けへんのに」そう言われるのが怖かった。自分でも「アホやしそんなこと願っても仕方ない」とあきらめていた。


学校は、学ぶところなのに。学びたかったのに。それを願うことすら自分には恥ずかしいと思っていたあのころ。かなうならあのころのオレに言ってやりたい。
「お前はアホちゃう。読み書きでけへんでも、ちゃんと理解してる。大丈夫や。もっと正直に「やりたい」「知りたい」って言ってええねんで」と。
そして周りの人間に言いたい。
「アホ扱いすんな。コイツは知りたいねん。学びたいねん。コイツが何をした?なんでそんなに追い詰める。うまく読めなくても本当は読みたいねん。ルビ打ったってええやないか。問題文読んでもらったってええやないか。絶望やなくて希望を与えたってくれ」と。