成人ディスレクシアの独り言 本文へジャンプ
ディスレクシアだと知って 〜拒否と怒り
謎はとけた、だが受け入れられない

きっかけは、本当に偶然だった。

今の妻が、読みかけの本を無造作にテーブルにおいていた。いつもならとりたてて気にすることもないのだが、なんとなく手に取ってみた。
タイトルは[怠けてなんかない]
「ははは、オレのことみたいだ」そう思ってぱらぱらとページをめくった。
歪む文字、重なる文字、
「えっ?なんだこれ?」思わず表紙を見返す。そこには「ディスレクシア~読む書く記憶するのが困難なLDの子どもたち」とあった。

手に汗がじっとりでてきた。
鼓動がはやく感じられた。
震えていたのかもしれない。

駆り立てられるように読み始め、自分でも驚くほど、一機に読んだ。
読みながら、涙がとまらなかった。
「これは、オレだ」「オレのことだ」
頭の中が真っ白になる。

やってもやっても覚えられない「文字」という壁の前で、のたうちまわっている人たちがいた。その納得できない思いや悔しさは、まさしく自分のこれまでと重なるものだった。
「オレだけじゃなかったのか?」
「オレのせいじゃなかったのか?」

突然本を読み始め、そしてぽろぽろ涙を流すオレを見て、妻は動揺していた。
「どうしたの?」その問いに、
「これ、オレのことや。オレのことやねん」とくり返した。

妻はオレが読み書きできないことは知っている。
一緒になる前に告白した。
でも、「家庭環境が複雑で、なかなか勉強に向かえなかった」「ぐれていて、全く勉強をしてこなかった」ためだと話していた。
信じて一緒になる相手でも、「いくらやっても覚えられない」とは言えなかった。

だから彼女は、「読み書きが苦手なのは学習の機会に恵まれなかったためだ」ぐらいの認識だっただろう。実際、自分からもそう説明していた。
オレの入らなさをどう説明しても、誰にもわかってもらえないとそのころには確信していたし、何より、そんなことを人に言うことすらもう嫌だった。
「怠けてなんかない」を手に、涙ぐむオレを見て、妻は初めて「夫は読み書きをしてこなかったのではなく、やっても入らなかったんだ」と知ったのだと思う。


その日からパソコンにかじりつき、片っ端から「ディスレクシア」「LD」でヒットするページを読み漁った。まさしく読み漁った。
1か月は、全く仕事も手につかない状態だったと思う。
1日中パソコンに向かって、調べ続けた。

思い当たることがいくつもある。
「オレのことだ」「オレのことだ」
謎が解けていく。40年近くオレを支配していた「なぜ」が解けていく。

「おまえはアホやから」「怠けているから」できないのだと何度言われても、
誰よりわかっていることもあるのに、
他の人にできないことがたくさんできたのに、
聞いて見て理解することは容易だったのに、
「なぜオレはみんなのように読めないんだ?書けないんだ?」
ずっとずっと納得できなかった思いに、やっと答えが出た気がした。

「そうだったんだ」
「オレはアホやなかったんだ」
「だからあんなに苦労したんだ」
納得はできる。
でも、受け入れられない。

これまでにあきらめてきたことが多すぎて、
これまでに受けた傷が大きすぎて、
せっかく知った謎の答えなのに、呑み込めなかった。

「オレはアホちゃう」と虚勢をはりながらも、周囲を威圧しながらも、
誰にでも簡単にできてしまうことが、いつまでたってもできない自分に、いつも幻滅してきた。

「書けない」ことを知られないために、嘘もたくさんついた。
「おれなあ、リュウマチみたいやねん。字を書くとか細かい作業しようとすると手が震えんねん」と、代筆を頼みやすいようにウソの複線を張り巡らせていく。それがどんなにプライドを踏みにじる行為だったか。

そんなシーンはごまんとあった。
その場はうまくごまかせても、誰かから「ウソやであいつ書けへんからそんなこと言ってるんやで」とばれたら・・・。そんな思いに耐えられなくて、疎遠になっていった人の数も数えきれない。

読み間違い、書き間違うことを指摘されて、学生の頃のように切れて暴れてができない場面では、相手の指摘に神経を逆なでられながらも、表面は笑って「オレほんまに勉強だめやねん〜」とアホのふりをしてごまかす。自分が悲しくて情けなくて、たまらなくなる。


読み書きができない自分には、望むことも無理だとあきらめたこともたくさんある。
とらばーゆを手にした16の時、世はバブルの中、山のように求人がある中で、自分が選べるものは数えるほどしかなかった。やってみたいことがあったって、望むべくもなかった。

今の妻と出会って田舎暮らしをはじめたころ、ハローワークの求人を見て、大手の工務店を受けに行ったことがある。建築の知識には自信があったし、説明も巧みにできた。担当の人から、「ぜひウチに来てください」と言ってもらった。話はどんどん進み、ほぼ決まりだと思っていた。相手もそうだったと思う。
しかし、そこで終わらなかった。
「一応試験はあります。、まあ簡単な作文だけなんで、形だけですけど」
一瞬言葉を失ったが、そこまでのやりとりや相手からの熱心な勧誘もあったので、意を決して
「書いてくるかノートパソコンを持ち込んで書いてはいけませんか?」と聞いてみた。
相手は不思議そうな表情で
「いや、そこまでしてもらわなくても、本当に簡単なものでいいですから。ウチとしてはtoraさんに決めたいと思いますが、本社におくらないといけないので」と言われた。
きっとなんとかなる。ここはオレが採りたいと言ってるんだし。その時はそう思って、思い切って言ってみた。
「僕、パソコンは使えるんですが、字を書くのはものすごく苦手なんで・・」
「いや、本当に簡単でいいですから。大丈夫ですよ」
何度かの押し問答のあと、「書かれへんのですよ」と言った。
さっきまでの笑顔は消え、さっとさめた表情に変わった。
ああ、へまをしてしまった。そう思ったがもう遅い。
「う・・ううん。そうですか。それは・・。とりあえず本社に聞いて、後日ご連絡しますね」
もちろん結果は不合格だった。


読み書きができても、何でも思うとおりになるわけではないことぐらいわかってる。
みんな、当たり前にそれができたって、いろんな挫折や苦労をしてきていることだってわかる。

でも、オレがたまらなく悔しいのは読み書きができないことでスタートラインにすら立てないことだ。
先の工務店だって、「オレ」という人間の能力は認めてくれた。でも「書けない」とわかった途端、まず前提を満たしていないとはじかれる。
今までどれだけそんな経験を積み重ねてきたかわからない。


スーツを着て仕事をしているサラリーマンを見ながら、「オレには縁のないこと」とあきらめていた。「あいつらよりオレの方が稼いでいる」そう思うことでなんとか自分を満たそうとしていたが、望むことすらできないと思い込んでいたその姿に、あこがれなかったといえば、嘘になる。

現場の近くに大学があるときは、よく学食を利用した。安くておいしいからだ。楽しそうにしゃべる同じ年頃の学生の横で、作業着姿で真っ黒になっているオレ。「オレも大学に行きたかった」と心の奥底では思っていた。勉強してみたいことはたくさんあった。でも、そんなこと口に出せば惨めになる。読み書きのできないオレが、名前を書くだけで入った高校すら飛び出したオレが、どこに行けるというんだ。そう思っていた。


読み書きができても、オレはやっぱり勉強が苦手だったかもしれない。
でも、もしも読み書きができたら、オレは選べたんだと思う。
「オレは勉強嫌いやから、やっぱ働こう」とか「これやってみたいから、やっぱ大学行きたいな」とか。
読み書きができないオレには、選ぶことすら許されなかった。


LDに関係するホームページを読んでは、自分の状況を一生懸命メールで送ってみた。返ってくる答えはいつも同じだ。
「toraさんはちゃんと自分の好きな大工と言う仕事につくことができているし、評価もされているんでしょう?それでいいじゃないですか」

そうかもしれない。でもそうじゃない!!

オレが苦しいのは、今の仕事が嫌だからじゃない。
今の仕事に自信も誇りも持っている。好きな仕事だ。
でも、ここを選んだわけではない。ここしか生きる道がなかったんだ。
もしも自分で選んでこの道に入っていたら、こんなにもがくほどの苦しさはなかったかもしれない。

ネットで、海外では対応が進んでいるという記事も目にした。
「ディスレクシアだ」ということがわかれば、試験や働き方に支援が受けられるところもあると聞いた。
「ディスレクシアなので、パソコンで作文を書かせてください」と言える国だったら、オレの生きづらさはもっとかるくなったんだろうか。
きちんとプログラムのある国で教育が受けられていたら、あんなにつらい学生時代を
ごさなくてよかったんじゃないか。
「もしも・・」「もしも・・・」がとめどなくわいてきて、
もうとっくにあきらめたはずの思いや押し込めていた口惜しさが噴出していく。
オレの子ども時代を返してほしい。
「できないことを悟られない」ことばかりに神経をとがらせていた日々を返してほしい。
誰に向かうこともできない、この歯がゆい思い。


仕事に行くようになっても、気持ちは晴れない。
何度も「知らない方がよかった」と思った。
知らなければ、こんなに悔しい思いをしなくて済んだかもしれない。

やっと穏やかな暮らしができるようになったと思った矢先だった。
今わかったって、もう取り返しがつかないことばかりなのに。
「そうだったのか」「オレはアホじゃなかったんだ」の次が、どうしても
「よかった」にならない。
「じゃあなんで」
「どうしてあんなことまで」
今まで重ねてきたものが重すぎて、身動きが取れなかった。


オレはこの思いに、その後数年、苛まれることになる。