成人ディスレクシアの独り言 本文へジャンプ
結果のくれた自信
「オレはアホやなかった」を実感できた日


2011年1月14日
やった!!!

福祉住環境コーディネーター2級の合格通知がとどいた!!

難解な用語の羅列。
文字がびっしりの分厚いテキスト。
初めて触れる言葉の多くは、おそらく正しく読めないものばかり。
試験勉強に費やせたのは、実質4日。


正直、「だめだろう」と思っていた。
封筒を見た時も、「不合格」を覚悟していたからこそ、躊躇なく開けられた。


でも受かった。
受かったんだ!!!


免許の試験は、生きるために必死で勉強した。
自動車学校に通い、先生の言葉を一言一句聞き落とすまいと、耳をそばだてた。

DIYアドバイザーは、名称こそなじみのないものが多かったが、
内容は自分の中に経験が何層にも重なっているものばかり。
画像が全て浮かぶ状態だった。


でも、今回は違う。
福祉住環境コーディネーターの試験は、
かなりの量が「初めて知ること」だった。
初めて知ることを初めて聞く言葉で、
何より、
読むという作業だけで、理解し覚え、
試験に臨んだ結果の合格だ


免許の試験の時のように、講義を耳から聞いたのでもない。
DIYアドバイザーのように、画像があったわけでもない。

医療関係の多くの部分は、必死で読んで理解して覚えた。
それで合格。
ああ、オレは本当にアホやなかったんや。
心からそう思えた。
自分でそのことが証明できた気がした。


今回の試験で、今までと違っていたのは、
「自分の学び方」を許せたことだ。

「オレなりのやり方」は、普通でない、恥ずかしいことだと思っていた。
普通のやり方でできないから、仕方なくそんな手立てをとる自分のことを、
「恥ずかしい」と感じていた。

でも、そうじゃなかった。
オレはオレのやり方でいいんだと、やっとわかった。

延髄も脊髄も「セキズイ」と読むオレ。
それではだめなんだと、正しく読めないとと、
これまではずっと思ってきた。

思えば、オレはみんなと違うところで、エネルギーを使い果たしていた。
「この読み方でいいのか」「間違えて覚えているのではないか」
それは恥ずかしいこと、笑われること。
そこにばかり神経をついやして、へとへとになっていた。


今回は、「正しく読めない自分」を、オレは受け入れていた。
オレは正しく読めない。
でも、意味はわかる。ちゃんと理解できる。

そう確信してのぞめた。

「水が沸騰したら・・」の「沸騰」が読めなくても、
「沸騰」という漢字の形を見たら
「ああ、水が100度を越してぶくぶくなったらってことやな」とわかる。
それでいい。
それで何が悪い?

そう思えた。

だから、「読み方が違う」ことにばかり気を取られることなく、
書いてある内容を理解することに集中できた。


こんな勉強の仕方もあるんだ。
あっていいんだ。
そう思えた。


結果を細かく見ていると、
データの数字がややこしく、年度によって正解が変わるような難解な部分は、
ほぼ100%できていた。
「ここはよく出るけど難しい」という情報があったので、
短い勉強時間の中でも、重点的に、何度も繰り返して読んだところだ。
一方で、イメージしやすいはずの住宅関係のところは、
「時間がない」とさらりと流した。
自信のあるはずのカテゴリーなのに、このあたりの正解率は低かった。

「勉強することは正直に結果につながる」そう感じた。
やったところはできて、やらなかったところはできない。
当たり前?
でも、オレにとってはカルチャーショックだった。
やればできるんだ。オレでも。
やればできるんだ。正しく読めなくても。



オレは、ずいぶん前に勉強全体を放棄していた。
「できるはずのないこと」そうあきらめて、触ることすら嫌悪していた。
でも、違っていた。
必要だったのは、「オレのやり方で学ぶこと」だったんだ。
それが見えれば、
それが受け入れられれば、
オレにも「やればできる」があったんだ。


ああ、嬉しい。
でも、くやしい。


オレはなんて遠回りをしてきたんだ。
たくさんの夢や希望、
どんなに努力してもかなうことなどないと、手放した思い。
あきらめなくてもよかったのか?
からかいと蔑みの中で、ずたずたになりながらでもやり続けていたら違ったのか?

いや、子どもの頃、勉強から逃げたオレは、
そうしないと生きていけないぐらい傷ついていた。
あれ以上、あの頃のオレに何ができただろう。

1人で戦うことは、本当につらすぎる。
大人のサポートや周囲の理解がなければ、
「オレのやり方で学ぶ」は、きっと成立しない。
逆に言えば、それらがあれば、
「オレのやり方で学ぶ」は、成立するかもしれない。


今、学校で学んでいる、オレと同じ困難を持った子達が、
そんなサポートと理解に包まれていますように、
そう願わずにはいられない。



誰に何と励まされても、
自分でどう言い聞かせても、
長年積み上げてきたコンプレックスの壁は厚い。
どこかで
「でも、読めないなんて」
「でも、書けないなんて」
と卑屈になってしまう自分がいた。


合格通知を何度も見返しながら、
やっと自分を認められる気がした。

試験は時の運もあるかもしれない。
それでも、
「合格」という結果がオレにくれた自信は、はかりしれない。


自分を信じて、次のステップに向かっていけることが、
何よりうれしい。