成人ディスレクシアの独り言 本文へジャンプ
オレの試験勉強 〜48才での挑戦
「オレなり」の大切さを実感しながら


「試験勉強」・・・記憶にあるのは、免許の試験のことのみだ。

小学校の頃は、今と違って「テスト勉強」なんてする子はそんなにいなかった気がする。
テストはあくまでぶっつけ本番。
だからできるヤツはいい点、そうじゃないヤツはそれなりの点、オレは・・・6年のS先生との95点の奇跡以外は、点数らしい点数がとれた覚えがない。
中学では、名前を書いたらそのまま寝ていた。
もう、がんばることがどれだけ無駄なのかを思い知っていたころだ。
高校入試は「名前だけ」で合格。

こうしてみると、学生時代にまともに「試験勉強」をしたことはない。

免許の試験は「生きるために」必死だった。
「免許なんて勉強しなくても楽勝だよ〜」というヤツらの中で、
オレは今思い返しても、ものすごく必死に勉強したと思う。
オレは「できない」自覚が痛いほどあった。
でも、免許が取れないと自分の生きる道が狭まるのも、
社会の中で嫌と言うほど思い知らされていた。
だから、必死で自動車学校の講義を聞いた。
「あとで読めばいいや」なんて選択は、自分にはないから。
問題集を丸暗記していく。
幸い(?)悪仲間と車をいじっていたころがある。
全く知らない話を覚えるわけではないのは、助かった。

普通免許も、後に取った二種免許も、一発合格。
○×とはいえ、「よくやったオレ」と自分をほめたい。
「オレ3回目〜」「私4回目だよ」と言って笑っている学生風の連中を見ながら、
「お前らオレより賢いはずちゃうんか」と違和感。


免許を取って後は、「試験」なんて全くオレの人生に関わってはこなかったし、
関わろうという気もなかった。


ところが、48歳の今年、2つの試験に挑むことになった。
1つは「DYIアドバイザー」
昨今のDIYばやりの影響を受け、お客さんの中でも
「自分でやってみたい」という人が増えた。
工具を貸し出したり、材料をそろえたり、時にはキット化したり。
そんな依頼がちょこちょこと出てくる中で、
「この資格があると、仕事がひろがるきっかけになるかも」と思い立った。

軽い気持ちでエントリーしたが、テキストを取り寄せてみてびっくりだ。
当たり前だが、漢字がいっぱい。しかもかなりの量だ。
おまけに○×のみではなく、「○字以内で答えなさい」という記述の問題もある。
記述は捨て、○×のみで行こうと決めた。
内容は、何十年もやってきていることに重なるので、イメージ化ができる。
ところが、ここで問題が出てきた。
「木工用ボンド」は「酢ビ樹脂系エマルション」
「アロンアルファ」は「シアノアクリレート系」ときた。
つまり、普段使い慣れていた名前は「商品名」であり、
「正式名称」ではないそうで、「試験は正式名称で」なのだそうだ。

正直、途方に暮れた。
画像のデータは、頭の中にたんまりある。
言葉さえわかれば、それが何を意味するのか、どんな使い方や注意点があるのかなんて、教えてもらわなくてもわかる。
でも、検索ワードが「正式名称」ではヒットしてこない。

仕方がないから、「正式名称」を覚える。
正確な読み方にこだわると、かえって覚えられないのは、今までの日々で経験済みだ。
「酢ビ樹脂系エマルション」は「す・さくびさん・エマルジョン」と覚えた。
正確な読み方でないだろうことは100も承知だ。
でも「す・さくびさん・エマルジョン」で「酢ビ樹脂系エマルション」という「図形」が浮かび、
「これは木工ボンドのことだから」と意味で考えることができる。
新しい言葉は全て、こんな感じで覚えた。
日常生活の中で、それが正確に言えなくて困ることなんてない。
「木工用ボンド」で事足りる。
とりあえず試験対策なんだから、自分が覚えやすい方法でいいんだと思った。


仕事が忙しくて、実質の勉強時間は3日。
そのかわり、3日間は寝る間も食べる間も惜しんで勉強した。
アヤシイ暗号のような、「自分なりの読み方」を漢字の羅列にあてはめていく。
それでも、経験があることばかりなので、言葉さえ覚えられれば大丈夫と思った。


いよいよ試験。

知らない言葉はアヤシイ呪文でなんとか覚えた。
それでも、記述問題はできる気がしなかった。
だって書かないといけない。
それでも妻が
「何も書かなければ0点。でも、何か書いてれば部分点があるかもよ」
「『何を』『どんな点に注意して』『どうする』だけ考えて書いてみたら」
「採点する方も、文章を採点するわけだから基準があるはず。「これが書いてあれば○点」とか機械的な線があると思うよ」
というので、とりあえず書いてみることにした。
ひらがなばかりになってしまうので、マスが足りない。「、」「。」をマスの中に書いてごまかした。

残る課題は「問題の量」だ。
膨大な文章量だと、見ただけでどこに注目していいかわからなくなる。
思い返してみれば、免許の試験の時は、問題用紙の端をちぎるか折り返すかして、
今読んでいる問題の下に置いていた。
ガイドを自分で作っていた。そうしないと読めないから。
今回はどうだろう。
とりあえずものさしと黒い紙を切ったものは用意したが、
持込みがアウトだった。
解答用紙を問題用紙の上に置き、今読んでいる所を間違えないようにした。

時間の半分くらいが過ぎた時、
「これ以降は退場してもいいです」の声に、かなりの数が会場を出て行った。
焦った。
えっ、オレはまだ半分ちょっとしかできてないぞ。
そんなにみんな簡単にできたのか?
焦って焦って、問題を読んでも頭に入ってこない。
混乱しながら後半の試験時間はあっという間に過ぎた。


落ち込んで帰宅。
妻や友人は、
「試験途中で出ていくのは、『できた』という意味ではない。むしろ『もう頑張っても無駄だ』という人。本気で受かりたかったら、時間の限り見直しをする。早くできても出て行ったりしない」
と口をそろえる。
そうなん?
そんなこと知らんし。
「試験慣れ」という言葉を、なるほど実感した。


結果は、なんと合格!
結果的に、ひらがなで書いた記述の点数が合格点に滑り込む決めてだったようだ。
免許のように「生きるために」必死というのでなく、
「これがあるといいなあ」で始めた試験勉強。
きっと他の人とは違う道筋なんだろう。
それでも受験者の上位45.4%に自分は入れたんだということは、
大きな自信になった。



DIYアドバイザーに関する情報を検索していると、
よく出てくる資格が「福祉住環境コーディネーター」だ。
これも、自分の仕事とかかわりが深い。
おまけに最近増えてきたリフォームの依頼に、ぴったりだ。
「これもいつか取りたいなあ」と話していると、
「今年の2回目の試験のエントリー、まだ締め切ってないみたいだよ」と妻。
見ると全国で試験が行われていて、ウチから20分の会場もある。
ノリと勢いで「やってみるかー」とエントリー。
さっそくテキストを探しに書店に行った。
資格試験のコーナーの一角に、「福祉住環境コーディネーター」の特設コーナーが作られていた。
「そんなにメジャーな資格なんだ」とびっくり。
3センチはあろうかと言うテキストの厚さに、二度びっくり。
福祉住環境コーディネーターは、1〜3級まであるようだが、
「資格」として意味を持つのは2級以上のようだ。
せっかく受けるならと、2級に挑戦することにした。

テキストをあけて、三度目のびっくり。
「住環境」に関わる資格ではあるが、「福祉」に関わるということで、様々な医療用語がびっしりだった。
脳梗塞・脳腫瘍・脳出血・くも膜下出血
それぞれの症状、原因、予後など、ややこしくて訳が分からない。
「こういう原因でこんな症状になっている人が暮らしやすい環境」と考えていくうえでは、そうした大事なことなんだなということはわかった。
今まで軽い気持ちでつけていたスロープや手すり。
「あれでよかったのか?」
「あの人には別の提案ができたのでは?」
と、考えさせられることも多かった。
挑戦したことは、自分のこれからの仕事にも生かせることだったと思う。

ただ、覚えるとなると話は別だ。

DIYアドバイザーの時と違って、「画像データ」が頭の中にない項目も多い。
0から覚えることは、本当に難しい。
必死で「自分」との接点を探る。

義理の母が脳梗塞に倒れたのは、昨年の冬だった。
義理の父は、全盲で補聴器も使っている。
大阪時代の友達に、アスペルガー症候群のヤツがいる。
具体的に知っている姿と、テキストの記述を照らし合わせていく。

体の部位の名称は、「自分のどこ」という体感で番地をつけながら覚えていく感じ。
「脊髄」も「延髄」も、オレは「せきずい」と読む。
なぜなら、「それがその字を見て思い浮かぶ音だから」
「えんずい」という読み方を教えてもらっても、「どっちがどっちだったか」わからなくなり、かえって混乱する。
だからどっちも読み方は「せきずい」
そのかわり「脊髄」という漢字の図形で浮かぶのは、背中の真ん中の線。
「延髄」という漢字の図形で浮かぶのは、首の後ろのあたり。
それぞれの言葉が意味する部分は、読んでいてわかっているし、区別もついている。
意味はわかっているんだ。
正しく読めないだけで。



そんな作業を厚さ3センチはあろうかというテキストでずっとしていく。
1ページを「読む」のに、どのくらい時間がかかっただろう。
その様子を見ていた妻が
「大事なところとか覚えにくいところとかに、線を引いたりしないの?」
と聞く。
そんなことしている余裕はない。
必死で文字を音やイメージに変換中なんだ。
「線を引いた方が覚えやすいんじゃない?」
それはアンタのやり方。
オレは、まず、必死で「読んでる」ねん。
そこに他の要素を入れたら、混乱するやんけ。


試験範囲を「読む」のに精一杯で、問題を解くことはほどんどしないまま試験を迎えた。


今度は途中で手で行く連中に焦ることはなかった。
びっちり2時間の試験時間、かなりの長文ばかりの問題と格闘した。
最後の10分見返す時間ができ、最初の数問を読み返したら、
とんでもない間違いを発見。
テンパってたんやなあ。


帰ってから自己採点。
70点が合格ラインで、69点は確定。
4点分、正解を書いたのか間違えを書いたのかがわからない。
迷って変えた覚えがあるが、正解へ変えたのか、不正解に変えたのか・・・。
微妙な結果に軽く凹むオレ。
でも横で妻は目を丸くしていた。
「たったこれだけの期間で、これだけの膨大な量の専門用語だらけの内容を、あんな大変な覚え方して、ほぼ7割できてるって、すごい!」
「あの勉強の仕方だと、膨大に時間がかかるんじゃないかと思っていたら、これだけの短期間でほぼ覚えてしまっているんだから、すごい!」
だそうだ。
そうなん?
落ちたらだめなんちゃうん?
自信持ってええんかなあ。

でも、今回もし落ちても、次は受かる自信ある。
大体頭に入ったし、「もう一度」やればかなり覚えられると思う。
もちろん正確な読み方じゃないけど。


でも、ネットで見ていると、同じ試験を何万円もかけて通信教育で勉強したり、ハローワークの勉強会みたいなので勉強している人もいっぱいいるみたいだ。
オレ、テキスト代だけだぞ。
勉強した期間も、短いぞ。
無意味な暗記は、できないタチだから、意味わかって覚えたぞ。
読み方はアヤシイ暗号だけど。

やっぱりそうだ。
「読めない」と「分からない」は、イコールじゃないんだ。

子どもの時から、「読めない」⇒「わからない」
「書けない」⇒「できない」だった。
でも、ちがうんや。
読めなくても、わかるぞ。オレ。

免許を取ったころは、自分は「できない」と確信していた。
人と違う勉強法なのは、何となくわかっていたが、それが恥ずかしかった。

でも、今は違う。
オレはオレのやり方で学ぶんだと、わかってきた。
正しく読めないから「全部だめ」ではない。
違う読み方をあてても、意味でちゃんと分かっている自分。
そうやって意味づけていくことが、オレの勉強の仕方、知識の広げ方なんだと、
今は自信を持って言える。

48歳の脳みそは、きっと若いころよりゆっくりなんだろう。
それでも、今までほとんど試験らしい試験を受けたことがなくても、
これだけのことができる力が、オレにはあるんだ。
そう思えた、2つの挑戦だった。

福祉住環境コーディネーターは、まだ結果待ち。
「すごい」といくら言われても、やっぱり受かっていたい。
今はただ、「あの4点が正解の方でありますように」と祈るだけだ。

今のオレを中学生のオレが見たら、驚くやろうなあ。
「試験勉強?」
「なんで?」
って言うかもな。
でもな、
勉強は面白い。
新しいことを知るのは、楽しい。
頭の中で、ばらばらにあった情報がつながっていくのはわくわくする。


ああオレ、やっぱり勉強したかったなあ。

中学生のオレに言いたい。

「お前はアホちゃうぞ。知りたいと思ってええんだぞ。お前の勉強の仕方がある。人とは違うかもしれんけど、負けへんで。はずかしがらんでええ。やってみいや」
とな。


来年はまた違う資格試験に挑戦してみようかと思う。